日々の泡を綴る うたかたの光を撮る


by bbking1031
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浄土平

吹雪いていた。
私は雪原を歩いている。
理由もなく、ただ歩いている。
目的地はただひとつあるようなのだが、それがどこだか分からない。
私は何も分からない。
私は何も考えない。
私は寒さも感じない。
私は自分が誰なのかも分からない。
相変わらず吹雪いている。
私は雪原をただひたすらに歩いている。

私は白い山を登っている。
ずいぶん長く登っている。
なぜだか疲れを感じない。
いいしれぬ懐かしさと、酸を帯びたような悲しみを感じている。
私は自分が誰なのか少しずつ分かり始めていた。

峠に茶屋があった。
先客がひとりいた。
白装束の私と同じくらいの年恰好の小柄な男。
茶屋の婆には驚いた。
真っ黒な皮膚が骨に貼りついているだけの、ぎょろりとした目をした婆。
頭部には白髪が申し訳程度に残っているだけだ。
「婆さんいつくだい?」
「いくつに見える?」
小娘みたいなことをいう。
「175歳くらいか?」
婆は歯のない口でにやりと笑うと、きたない茶碗にお茶をついで差し出した。
「その倍だあね。」
茶碗の中身はお茶ではなく、ただの水だった。
「あとどのくらいだろう?」
「なあに、時間はいくらでもある。
いやあね、わしらには時間しかないだろう。
あんたたちも100歳や200歳には簡単になれる。
ここいらは季節の変化が激しいから、退屈はしない。
熊と話したり、猪と駆けっこしたり、猿と木登りしたり、雉といっしょに叫んだり、やることはいっぱいある。」
「どこまでいくんだい?」
私は男に訊ねた。
「あんたとおなじところに決まっているさ。」
茶碗の水は霧でも飲んだように正体がない。
「さあ、出かけようか。
もうここにくることはないだろう。」
男はそういって、立ち上がった。

我々は一緒に茶屋を出たが、じきにはぐれた。
山の雪はますます深く、吹雪で前後も見えなくなったが、それは何でもないような気がする。
そうだな、生まれてからずっと毎日見ていた山で暮らすのだ。
これからずっと、何年も何十年も、永遠ともいうべき時間を。
ここか。
どうやら浄土平に着いたらしい。
春になったらまたみんなに会える。
私はここで、みんなを待っていよう。
さようなら。
だが、ここに私はずっといるのだ。
いつでも会えるのだから、さびしかったら会いにくればいい。
さようなら、さようなら。
会えるのだから、さようなら。
Commented by 松本尚史 at 2008-02-15 20:32 x
素敵なお話をありがとうございます。
やれやれ、やっと入試も終わって結果待ちです。
ありがとうとさようならはレパートリーが多いですね。
死ぬまであと何回口にするものだか。
Commented by bbkin at 2008-02-15 23:14 x
春はさよならの季節ですね。
冬にさよならする人は、春が待ちきれないのだろうな。
でも、もうすぐ春がくるからね。
また、会えるんだと思う。
人は死ぬと身近になりますよ。
ぼくはいつでも父母の声が聞こえる。
by bbking1031 | 2008-02-15 00:51 | お話 | Comments(2)